「要求言語」がつらく感じた理由
〜“言わせる”より前に、大切なことがある〜
最近、子育てや保育、発達支援の世界で
「要求言語(ようきゅうげんご)」
という言葉を見かけるようになりました。
簡単にいうと、
「泣く・ぐずる」
ではなく
「言葉で要求を伝えられるようにする」
という支援です。
たとえば、
「ジュースほしいなら、なんて言うの?」
「“ちょうだい”って言えるかな?」
という関わり。
実はこれ自体は、悪い考えではありません。
むしろ、
✔ 子ども自身が伝えやすくなる
✔ 癇癪やストレスが減る
✔ コミュニケーション力が育つ
という目的があります。
実際、発達支援の現場でも“要求”を教えることは、コミュニケーション発達の重要な土台だとされています。
でも、見ていて苦しくなった
私がXで見かけた投稿は、こんな内容でした。
「察してやってあげることで成長の芽を摘む」
「要求言語を教えないと、グズればやってもらえると学習する」
「“泣いて要求”から“言語で要求”へ移行させる」
言いたいことはわかる。
でも…
読んでいて、なんだか苦しくなったんです。
なぜなら、
まだ話せない子に対して
“言葉で言わせる”ことが目的になっているように感じたから。
言えない子は、どうしたらいいの?
赤ちゃんや、赤ちゃんではなくても言葉がまだ未熟な子は、
伝えたい気持ちはある
でも、言葉にできない
この状態です。
そんな時に、
「なんて言うの?」
「言わないと分からないよ」
と言われ続けたら…。
それは“学び”というより、
伝わらない苦しさ
分かってもらえない不安
になってしまうこともあります。
本来の「要求言語」は、もっとやさしい
本来、要求言語の支援は、
❌ 言えるまで与えない
ではなく、
⭕ 大人が“言葉を添えて橋渡しする”
もの。
たとえば、
「ジュース飲みたいんだね」
「もっと欲しいね」
と、大人が気持ちを代弁してあげる。
つまり、
“言わせる”ではなく
“伝わる経験を増やす”
ことが大事なんです。
ここでベビーサインが自然につながる
そして私は、ここにこそ
ベビーサインの意味があると思っています。
だって、
まだ話せない赤ちゃんはもちろん、
話し言葉がまだ未熟な子どもに
“言葉で言って”は難しい。
でも、
ベビーサインなら伝えられる
から。
「泣く」と「言葉」の間を埋めるもの
要求言語の世界では、
「泣いて要求」
↓
「言葉で要求」
への移行を目指します。
でも、その間に
「ベビーサインで要求」
というステップがあったら?!
子どもたちは、
「もっと」
「おしまい」
「飲みたい」
を、自分で伝えられる。
すると、
“伝わった!”
“わかってもらえた!”
という成功体験が積み重なります。
大事なのは「言わせること」じゃない
コミュニケーションの本質って、
「正しい言葉を言うこと」ではなく、
“自分の気持ちが相手に伝わる”
ことなんですよね。
そして、その積み重ねが、
やがて言葉につながっていく。
子どもたちにも「伝える権利」がある
まだ話せないからって、
「分からない」わけじゃない。
赤ちゃんにも、言葉が未熟な子どもたちにも
伝えたい気持ち
分かってほしい思い
ちゃんとある。
だから私は、
“言葉の前のコミュニケーション”
を、もっと大事にしたいなと思うのです。
詳しくは「ベビーサイン図鑑」で!









